5月12日は看護の日!ナイチンゲールの功績について
毎年5月12日は「看護の日」です。また、日本では看護の日を含む週の日曜日~土曜日までを「看護週間」とし、全国各地でイベント等が開催されています。今回の記事では看護の日の由来や、イベントについてご紹介します。
看護の日の由来
5月12日は、近代看護教育の母と呼ばれるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日です。この日にちなみ、「国際看護師の日」「看護の日」が制定されました。
※「看護の日」は「ナイチンゲールの日」とも呼ばれています。
「国際看護師の日」は、1965年に国際看護師協会(本部 ジュネーブ)によって制定され、看護師の社会貢献をたたえる日となっています。
日本では1990年に厚生省(現 厚労省)により、看護の心、ケアの心、助け合いの心を育むきっかけになるように「看護の日」が制定されました。「看護週間」は、看護の日を含む週の日曜日~土曜日までとなります。
ナイチンゲールの功績と生涯
フローレンス・ナイチンゲールはイギリスの看護師であり、世界初の看護学校の設立や病院建設など医療制度の改革に大きく貢献しました。彼女の功績としては、1853年から1856年の間に行われた「クリミア戦争」での貢献が有名で、フローレンス・ナイチンゲールと看護婦団の働きにより死亡者数が大幅に減られたと言われています。
年表
1820年5月12日
イギリス人の裕福な両親の下、旅行先のイタリア・フィレンツェで誕生。上流階級で育ち高度な教育を受けたが、慈善活動に携わることで看護の道を志すようになる。しかし当時の看護婦は社会的に地位のある女性が就く職業とみなされておらず、両親からは猛反対を受ける。
1851年
両親の反対を押し切り、ドイツのカイザースヴェルト学園で看護の勉強を始める。
1853年
ロンドンの病院に就職。働きぶりが認められ1年も経たない内に婦長となる。
1854年
クリミア戦争下戦時大臣より依頼を受け、看護婦団を結成。様々な努力で病院の衛生状態を改善した結果、負傷兵の致死率は大幅に低下した。当時の献身的な働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれ、看護師が「白衣の天使」と呼ばれる由来になっている。また、夜回りを欠かさなかったことから「ランプの貴婦人」とも呼ばれた。
1856年
クリミア戦争が終結し、イギリスへ帰国。帰国後は報告書を基に病院の状況分析を行い、政府へ提出する。円グラフや棒グラフもない時代にレーダーチャートの先駆けとなるグラフを作成し、統計学の先駆者としても知られている。
1857年
過労により倒れる。この頃から慢性疲労症候群のような症状により、以後ほぼベッドの上での生活になる。現場の看護に代わり本の執筆や手紙による交渉、指示等が主な活動となる。
1860年
戦時中に作られたナイチンゲール基金が45000ポンド(現在の金額でおよそ9億円)に達し、聖トーマス病院内にナイチンゲール看護学校を創立する。その後同種の養成学校がイギリス内に作られ、現在に近い看護婦養成体制が整い始めた。
『Notes On Nursing(看護覚え書)』出版
1863年
『Notes on Hospitals(病院覚え書)』出版
1901年
完全に失明する。
1907年
女性で初めてメリット勲章※を授けられる
1910年8月13日
90歳でロンドンにてその生涯を閉じる。故人の遺志により墓石にはイニシャルと生没年月日のみが記されている。
※メリット勲章:英国国王、もしくは女王から、軍事、科学、芸術、文学、文化の振興に功績のあった人物に贈られる。現存する勲章の中で最も名誉なものであると言われている。
ナイチンゲール病棟
現在の病院でも生かされている以下のシステムはナイチンゲールが考案し、『Notes on Hospitals(病院覚え書)』の中で記されたものです。
・ナースコール
・ナースステーションを中心にした病棟
・患者の気分転換に必要なデイスペースの設置
・食事や読書に欠かせないオーバーテーブルの設置
・感染症を防ぐためベッドとベッドの間は1.5m離す
・換気のための窓
看護の日のイベント
日本看護協会では毎年看護に関わるトークイベントを行っており、若年層へ向けて看護の魅力を伝えています。
また、「看護の日・看護週間」事業の一環として看護職・一般の方々から看護にまつわる心温まる「忘れられない看護エピソード」を募集しています。2010年から毎年、看護週間の期間中に募集を行い、表彰式を開催しています。看護の日事業30周年の2020年は節目を記念しドラマ制作が行われました。
忘れられない看護エピソード受賞作品一覧
まとめ
例年各所で看護師の仕事を体験できるイベントや展示イベント、健康相談等が行われています。
看護の日をきっかけに改めて看護について考えてみてはいかがでしょうか。